日経の取材で、1月はとにかく僧侶や住職に会いました。
これまで寺なんて全然近い存在じゃなかったのに-。
最近は、寺が街にやってくるようになりました。
昔は、人びとが寺にいき、住職や僧侶と話をしたり、ただお茶を飲んだり・・・と、人々の暮らしの中心に「寺」があったようですが、今は、人はお寺に用もなければ人はいきません。寺院の多くが存続の危機にあります。また「もっとお寺を身近に感じてほしい」と考える住職も多く、川崎市にある信行寺(浄土真宗本願寺派)は、東京・代官山というトレンドの発信地に「寺カフェ」をオープン。僧侶を常駐させて、人々の相談にのったり、お寺イベントを積極的に行っています(詳細は、日経の記事)
この取材もあって、寺カフェ代官山に1ヶ月の間に5回もいきましたが、料理は美味しいしスタッフの皆さんはとっても優しいし、それに何より、僧侶や住職の話から気づくことも多くて、色々と考えた1ヶ月でした。本当にありがたい体験をさせていただきました。
日経ではほかにお寺に関する記事を何本か書いています。寺女子のことなど。以下、気軽に読んでいただけると嬉しいです。
ライトな仏像・仏教ブーム 主役は40代以下の女性
生まれてくることは事前に想像したり、考えることはできませんが、この生の終わりである「死」は事前に心構えなど、準備することが可能、という意味でも「生」より「死」のほうが自分の気持ち次第でちゃんと向き合えることができるものだと思います。
死はいつ訪れるのかわかりません。明日死んでしまうかもしれないし、ものすごーく先のことかもしれません。よく考えると誰もが終わりの見えない旅をしているのですね。それなのに、なんとなく死から避けてる傾向が社会的にも長くありました。最近はだいぶ変わりましたがでもまだまだ欧米諸国に比べて日本では「死」はタブー視扱いされている部分もまだあると思います。
そんな中、私はずっと「死」に関して興味があり、自分がどんな「死」に方をするのか、考えていました。
そして自分以外にも同じように考える人と出会えたのが、今回の『死の体験旅行』でした。豊島区の金剛院で毎月行っていて次回は3月22日のようです。実は詳細について書きたいのですが、主催側から、これから受ける人たちのことも考えて、詳細はNGと言われているのですが、ひとことだけ。用意された紙に、自分の人生で大切なものを事前に書いて、旅行が始まります。
紙に書かれた自分が大切にしているものや人や場所、思い出などなどを見ながら、自分が死んでいく状況を想像して、「死を模擬体験」していきます(メンタル的なものです。肉体的な苦痛はありませんのでご安心を)。
自分が死んでいく時にどう考えるか、どう感じるのか、というよりは、自分が今何に執着しているのか、自分が今生きる社会で何が問題なのか、考え方の癖などを改めて気づくことができた2時間でした。これは発見がいくつかあったという点において、参加してよかったと思っています。
やっぱり、改めて「死ぬ事を考えること」は、生きることを突き詰めて考えることなのだと、確信しました。死の存在を正しくまっすぐに受け止めた上で今を生きるということは、人間の生きかたを強くする。その結果人にも自分にも優しくなれるのだと思います。
大崎百紀